経済英語の宿題
2004年10月6日ワードに打つのが面倒なので、ここに打ってみる。
悪徳企業で有名なウォルマートのサム・ウォルトンさんの生涯です。
訳しながら打つので日本語はおかしいですが、大学の授業なので、
どうせまともに訳せるやつらはいません。
というわけで適当にやります。
第4章 上昇気流にのって
店の支配人のチャーリーさんによると、サムはウォルマートが出来てから、数種類の賞品が安いだけのベンフランクリンとは差別化して、ウォルマートではすべてを安くするといってたそうだ。
サムはスプリングデイルでウォルマートの店を開くとき、みんなからまた馬鹿なことをいってるとか言われた。バトラーブラザーズの人々もサムのディスカウントのアイデアを却下して、それに対してサムは怒りを感じたが、結果としてそのおかげでサムはウォルマートをたちあげる決心がついたのだった。
現在、ウォルマートの副社長兼COOのドンさんの話では、昔、ベンフランクリンに勤めていたとき、サムが来て、ディスカウントストアーのフランチャイズ店を小さい町に出したいと言いに来たが、ベンフランクリンの人たちはだめだといった。ミーティングの後、サムはコンピューターの使い方やどういう風に使っていくのかを聞いていった。次の日、ケーマートに行ってみるとサムがいて、また店員になにかしら聞いていた。ドンさんが何をしているのかと聞くと、勉強してるんだと答えた。ドンさんによると、サムは今(この本が書かれた当時)もそれを続けているらしい。
1962年はディスカウント業界にとって重要な年だった。4個の企業がディスカウントチェーンを出したのだった。その中にはサムのウォルマートも含まれている。しかし、その後5年でケーマートは250店舗も展開していたのに、ウォルマートは19店舗。売り上げ高はケーマート8億ドルに対してウォルマートは900万ドルだった。この時点では、誰もウォルマートが世界一の小売企業になるとは思ってなかっただろう。サム自信も今思い返してみて、とても信じられない事だと思っている。
サムは振り返って考えてみると、ウォルマート成功の秘訣は、必要性から作り出されていると確信している。アメリカの小さな町には、サムを含め誰もが夢見てるよりさらに多くのビジネスチャンスが転がっているのだ。
ウォルマート1号店の第2主任のクラレンスさんの話では、3号店をオープンしたとき、不凍剤と歯磨き粉を安くして客寄せをした。そうしたら、人が来すぎて、消防署から売り方を指導された。そうして、サムは店の回転率を上げるため、レジ使わせるようにし始めた。
ウォルマートの店舗はお世辞にもきれいとは言えず、8番目の店もコカコーラの瓶詰め工場に作ったのだが、そこにあるものを利用して、商品を陳列した。小さい町の店だったが、これもまた違った実験場だった。
ウォルマートには当時、システムも注文プログラムも商品管理システムもなかった。とにかくコンピューターがなかった。しかしそれでもウォルマートがやってきたのは、消費者ががウォルマートに来れば、どこよりも安い価格で商品を買う事ができ、しかも気に食わなければ、返品できるというシステムがあったからだ。
ふう。。1時間くらいで6ページか。。時間かかりすぎだよ。
次やるときはもっと手抜きします。
悪徳企業で有名なウォルマートのサム・ウォルトンさんの生涯です。
訳しながら打つので日本語はおかしいですが、大学の授業なので、
どうせまともに訳せるやつらはいません。
というわけで適当にやります。
第4章 上昇気流にのって
店の支配人のチャーリーさんによると、サムはウォルマートが出来てから、数種類の賞品が安いだけのベンフランクリンとは差別化して、ウォルマートではすべてを安くするといってたそうだ。
サムはスプリングデイルでウォルマートの店を開くとき、みんなからまた馬鹿なことをいってるとか言われた。バトラーブラザーズの人々もサムのディスカウントのアイデアを却下して、それに対してサムは怒りを感じたが、結果としてそのおかげでサムはウォルマートをたちあげる決心がついたのだった。
現在、ウォルマートの副社長兼COOのドンさんの話では、昔、ベンフランクリンに勤めていたとき、サムが来て、ディスカウントストアーのフランチャイズ店を小さい町に出したいと言いに来たが、ベンフランクリンの人たちはだめだといった。ミーティングの後、サムはコンピューターの使い方やどういう風に使っていくのかを聞いていった。次の日、ケーマートに行ってみるとサムがいて、また店員になにかしら聞いていた。ドンさんが何をしているのかと聞くと、勉強してるんだと答えた。ドンさんによると、サムは今(この本が書かれた当時)もそれを続けているらしい。
1962年はディスカウント業界にとって重要な年だった。4個の企業がディスカウントチェーンを出したのだった。その中にはサムのウォルマートも含まれている。しかし、その後5年でケーマートは250店舗も展開していたのに、ウォルマートは19店舗。売り上げ高はケーマート8億ドルに対してウォルマートは900万ドルだった。この時点では、誰もウォルマートが世界一の小売企業になるとは思ってなかっただろう。サム自信も今思い返してみて、とても信じられない事だと思っている。
サムは振り返って考えてみると、ウォルマート成功の秘訣は、必要性から作り出されていると確信している。アメリカの小さな町には、サムを含め誰もが夢見てるよりさらに多くのビジネスチャンスが転がっているのだ。
ウォルマート1号店の第2主任のクラレンスさんの話では、3号店をオープンしたとき、不凍剤と歯磨き粉を安くして客寄せをした。そうしたら、人が来すぎて、消防署から売り方を指導された。そうして、サムは店の回転率を上げるため、レジ使わせるようにし始めた。
ウォルマートの店舗はお世辞にもきれいとは言えず、8番目の店もコカコーラの瓶詰め工場に作ったのだが、そこにあるものを利用して、商品を陳列した。小さい町の店だったが、これもまた違った実験場だった。
ウォルマートには当時、システムも注文プログラムも商品管理システムもなかった。とにかくコンピューターがなかった。しかしそれでもウォルマートがやってきたのは、消費者ががウォルマートに来れば、どこよりも安い価格で商品を買う事ができ、しかも気に食わなければ、返品できるというシステムがあったからだ。
ふう。。1時間くらいで6ページか。。時間かかりすぎだよ。
次やるときはもっと手抜きします。
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